- 中学受験応援サイト『シガクラボ』
- 特集
- 発想の原点を探る
発想の原点を探る
スペシャル・インタビュー
イラストレーター/宝塚大学 東京メディア芸術学部 教授
北見 隆さん
イラストレーターという職業とはどういうものか
作家・赤川次郎さんの人気ミステリー『三毛猫ホームズ』シリーズをはじめ、数多くの装幀や挿画、立体作品などで知られるイラストレーター・北見 隆さん。長年、トップランナーとして走り続けてきたクリエイターに、創作の原点について伺ってみた―――
取材・文/橘 雅康 撮影/井原淳一 協力/宝塚大学 東京新宿キャンパス
絵の好きな少年が、そのまま絵描きになれるというような、現実がそんな甘いものではないことは誰もが知っているが、イラストレーターとして40年近くにわたり第一線で活躍され続けてきた北見隆さんの場合はどうなのだろう―――
ぼくは駆けっこが少し早かったくらいで、野球少年のような特に運動好きな子どもではありませんでした。協調性もあまりなかったですから、チーム競技などは苦手だったんです。かといって、ずっと家にこもっていたかというとそうではなく、木登りをしたり昆虫を捕まえたりして遊んでいました。その当時は家の近くに田畑や空き地も多かったですし、かすかな記憶ではまだ防空壕なども残っていましたから、遊び場に困ることはなかったんですね。遊びの中でいろんな工夫をしたり、想像したりする体験ができたのは、いま思うととてもよかったのではないかと感じています。
ぼく自身が絵を描くことに興味を持ったのは幼稚園の頃です。外部から絵の先生が来て指導してくれていたと思うのですが、とても楽しかった記憶があります。いま教壇に立っている宝塚大学 東京メディア芸術学部イラストレーション領域では、毎年、学生たちと教員が一緒のテーマで作品集を作るのですが、「赤ずきん」がテーマの時にぼくが描いた絵は、幼稚園の時にお芝居を観て描いた絵とそんなに構図が変わっていません。思わず、進歩していないじゃないかと自分で笑ってしまいました。 小・中学校ではポスターなどコンクールで賞をもらうことも多く、絵を描くことがとても得意だったのですが、逆にそのことが少しコンプレックスでもありました。
子どもにとって学校という場は、そこが生活のすべてといってもいいくらいの高いウェイトを占めています。しかもその中は案外狭い社会で、たとえば、絵を描くのがとても好きな生徒というだけで、どこか画一的なイメージで見られてしまうものです。特に子どもの頃というのは、運動ができるかできないかで評価される部分がありますから、なにか窮屈さのようなものを感じていました。
高校生になると友だちとスケートやボウリングに行ったりもしましたが、さほど面白いとは感じられませんでした。進路のことも考えねばならず、この頃になってやっと、自分は絵が大好きな人間であるという事実を認められるようになり、進学先として武蔵野美術大学を選びました。以後、自分に正直に絵の道を続けています。
「イラストレーション」というのは、挿絵や図版など、雑誌や書籍などで活字の補助として説明的に使われるものだった。しかし、高度経済成長期以降、現在に至る商業デザインの場では、イラストレーションそのものが重要な表現として、すでに一分野を確立している―――
イラストレーターという職業には定年がないので、元気な限り仕事ができます。つまり、自分で幕を引かない限りはいつまでも現役です(笑)。昨今は美術系を志す女性もどんどん増えて裾野が広がっているだけに、作家として一本立ちするというのは本当に大変なことです。イラストレーターというのはクライアント(取引先)から依頼されてはじめて成立する職業です。企業広告や出版業界からのオーダーを受けて描くわけですが、依頼のされ方は二通りあって、一つは、的確な技術力で、先方のイメージにそった絵を描ける人に声がかかるケースです。ピンポイントで狙うスナイパー的な感じですね。
もう一つは作家の個性に期待するというもので、「この人にしかこの世界は描けない」と絵の世界観や作家のキャラクターを踏まえて依頼されるケースです。この仕事で食べていくにあたり、長くこの仕事を続けるにあたって自分自身を客観的に見つめた時、私は後者を選びました。制約の多い広告の仕事の方がより収入が多いということはわかっていましたが、私はもう少し自由に描ける出版関係の仕事を優先的に選んだわけです。かといって何でも好きに描けるわけではなく、ラフスケッチのやり取りなど編集者との事前の打ち合わせは必要です。広告の仕事の場合あらかじめアイデアスケッチを提示されることが多いので、自分の世界というより、クライアントの世界を視覚化するといった仕事が大半です。技術とイマジネーションのどちらの道を選ぶかはイラストレーターそれぞれのタイプの、向き不向きの問題だと思います。両方兼ね備えていれば素晴らしいのですが。
仕事への向き合い方ということで言えば、私はまったく制約がないと途方に暮れてしまうタイプですから、ある程度、制約のある中でどうすれば自分らしさを出して描けるかと考えるのが好きです。与えられた条件の中で、自分の好きな世界観をどう組み込むか、そこがとてもおもしろいところだと思っています。考えてみると、美術など数々の芸術作品の歴史を振り返れば、抑圧された中から生まれた作品の中に、傑作が結構ありますね。
どんな鳥だって、想像力より高く飛ぶことはできないだろう
――― 寺山修司(劇作家)
北見さんの描く世界に、私はいつも「飛翔」するイメージを抱いてしまう。弊誌の読者の中には、かつて、やなせたかしさんが編集長を務めた『詩とメルヘン』(サンリオ出版)を愛読した方も大勢いるだろう。そこに掲載された美しいイラストレーションの数々は読者を空想世界へと誘い、籠の鳥だと思えた思春期の揺らぐ心を解き放ってくれたと感じた方も多いのではなかろうか。北見さんは、絵の題材として「鳥」や「舟」を使われることも多く、「旅」への願望があるのかもしれないと思い、ご本人に伺ってみたのだが、あまり遠出はしないと言う。──そうか、その必要はないのか。寺山修司(1935~1983)のこの言葉が、胸の奥底にストンと落ちた。
(『N‐cube』編集長 橘 雅康)
作家性とは何か、画風の原点にあるもの
イラストレーターにとって最も大切なの が、その作家ならではの表現技術という ことになるだろう―――
ある程度、世間に作風を認知されるようになってきた頃に、テレビの美術系の番組に幾つか出たことがあって、ある日、近所のレストランで見ず知らずの方から声を掛けられ、驚いたことがありました。売れっ子になったと思ったことはありませんが、ようやくイラストレーターとして認知されるようになったのかなと嬉しかったですね。
武蔵野美術大の学生だった頃は、画家のアンリ・ルソーやルネ・マグリットが好きでしたから、二人の作風に似た部分があるかもしれません。アメリカのイラストレーターにポール・デービス(1938〜)という人がいて、作品の画面をわざと古くアンティーク調にするのですが、それがとても衝撃的で、古い物好きの僕はその画風に大いにあこがれました。ポール・デービスはアメリカのナイーフ・アート(素朴画)の表現方法で描いているわけですが、日本人画家の 有元利夫(1946〜1985)さんはヨーロッパの古いフレスコ画のマチエールを作品に取り入れられていて、こちらも衝撃的でした。僕はイラストレーションを描く際に意図的に時代設定をずらして、少しレトロに描いたりすることもあるのですが、古い時代やマチエールが好きだったりと、結局のところ、時間表現に一番興味があるのかもしれません。
美大卒業後、北見さんがイラストレーターとしてデビューした1980年前後というのは、「迷宮のアンドローラ」などの作品で知られる長岡秀星さん(アメリカ在住)や、PALCOの広告で知られる山口はるみさんなど、エアーブラシを巧みに用いて描くスーパーリアル・イラストレーションが広告業界でもてはやされた時代だった―――
あの頃は自分の方向性も含め、作風については真剣に考えましたね。リアルに描く仕事というのはたくさんあったと思 いますが、そうしたものが苦手だったぼくは、別の道を探さなければなりませんでした。そこで生まれたのがいまのスタイルです。少し首が長めの人物を描くなど、自分としての目印のようなものを画面の中に込めたいと思いました。
作品の中の世界というのは、もちろん 現実の日本の風景を描いたものではあり ません。ある広告担当の方から「北見さんの絵には死のにおいがする」なんて言われたこともありますが、いまにして思えば、祖母や伯母がクリスチャンでした から、知らず知らずのうちにキリスト教の宗教絵画などの感化を受けたのかもしれませんね。
発想のもとになるのは、意外と普段の生活だったりすることがあります。その時々の感情を直接的に描くのは苦手ですが、想いを絵に込めるということはありますよ。自分の絵は音楽でいうとどのあたりの時代なのかなと思うことはあるんです。画面上は古典的に描いていますけど、かならずどこか現代的な要素や仕掛けを取り入れたいと思っています。謎解きのような感覚で見てもらえたら嬉しいですね。
アイデアを考えている時に思うのは、どんな絵でも物語性のある絵になったら良いなということです。書籍の表紙の場合はタイトルとイラストレーションの相乗効果で、店頭で見た人のイマジネーションを刺激して様々なストーリーを想像 させられる絵が描けるかどうか。また個展などで発表する個人の作品では、更に物語性や詩的な要素を強調して、大げさに言えば神話的な絵を描きたいと思っています。ただどちらも説明的な絵にならないようには気をつけてはいます。説明的になると見る人のイマジネーションを狭めてしまいますからね。
ぼく自身は天使の絵であったり、船出の場面だったり、一つのイメージを持つと結構長い期間それを題材に描くところがあります。なぜそればかり描くのかとたずねられても答えられませんが、それならいっそのこと、人からマンネリズムと言われようと自分で答えが見つかるまで描いちゃえと思っています(笑)
小学生の頃は『西遊記』や『オズの魔法使い』のような道中ものをよく読んで いました。私自身は旅行に行くのが面倒くさいと思ってしまうタイプなのであまり行きませんが、考えてみると、自分で描く絵の中でいつも旅をしているような ものですね。
自らの創作活動だけでなく、現在は宝塚 大学 東京メディア芸術学部イラストレーション領域という場で後進を育成して いる北見さん。学生たちにどんなことを 望んでいるのだろう―――
正直に言えば、独学であってもその気になれば美術やイラストレーションなどの表現技術や感性を磨くことはできます。 だからこそ、この大学で学ぶということにどういう意味や価値を持たせるかということを常に考えたいと思っています。 ここでイラストレーションを学んだ者すべてがイラストレーターになるわけではないし、卒業してすぐになれる職業ではありませんが、4年間で身に付けた美意 識や知識は、日々の生活をきっと豊かな ものにしてくれると思います。卒業生の中には一般企業の事務職として就職し、その後、画力を買われてクリエイティブな仕事を任されている者もいます。
本学には他の芸大や美大に劣らない教員スタッフがいて、カリキュラムがあります。ぼくらが長年、現場での経験を通じて培ってきた知恵やノウハウをどう生かすかは、学生自身の主体性や積極性にかかっています。気が付かないだけで身の回りのどこにでも創作のヒントはころがっています。それらを感知するアンテナを常に張り続けることは、クリエイターにとって必要不可欠な能力だと思いますね。