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未来のライフ・デザインを考える ~私立中高一貫校の学校生活シミュレーション~

グラフィックデザインの仕事とはどういうものか

小松原 先生が携わるグラフィックデザインというものを、わかりやすく教えていただけますか。

佐藤 主に企業のロゴやシンボルマーク、ポスターやパッケージなど平面的な媒体が中心になりますが、それ以外にもいろいろやることがあるんじゃないのかと思い始めて、積極的に仕車の幅を広げてきました。ブックデザインや家具、企業のCI(コーポレートアイデンティティー)、テレビ番組の制作にも関わっていますし、展覧会もプロデュースします。

小松原 多岐にわたる仕事を通じて、いま、どのようなことを感じられていますか。

佐藤 やっぱり一番は、デザインに境界を作る必要はないということでしょうか。先程言いましたが、何かに特化して専門的にデザインする人がいてもいいし、生活すべてが繋がっているということを強く意識するなら、私のようにもっと垣根を越えて行ってもいいと思います。

小松原 デザインの力というのはとても大きいと思います。発想力というのはこれからの時代に必要ですね。

佐藤 そのヒントになるかどうかわかりませんが、以前、私が館長を務めている東京・六本木の「21 _21 DESIGN SIGHT」(トゥーワン・トゥーワン・デザインサイト)で「虫展」をやりました。
サブタイトルは「デザインのお手本」で、解剖学者の養老孟司さんと一緒に、昆虫をデザインのお手本としてとらえてみようという試みです。虫だけでなく自然界には様々なヒントがあって、古くから多くのアーティストやデザイナーがインスピレーションを受けてきました。
乗り物にしても建物の構造や素材にしても、動植物から得たヒントはものすこく多くあります。ですから、「自然のデザインにはかなわない」と言う方がいますが、あれは大変おこがましい言い方だと思いますね。人間もまた自然の一部だし、自然というのは人間が考えるよりはるかにすごいことを生み出しているでしょ。だから、自然そのものが創り出した景観や、動植物の形や模様などについて、デザインという言葉を使うことはおかしなことなんです。

小松原 つまり「デザイン」というのは、人がする行為だということですね。

佐藤 そう考えると、環境問題への取り組みのように、人だからこそ知恵を出さなくてはならないこともありますよね。
たとえば日本の里山、森などもほったらかしておくと荒れてしまいます。適度に樹木を間引くなど、自然に人間が関わることで、良い状態を保つこともできるわけです。デザインというのは、製品を作るプロダクトという枠に縛られるものではなく、無限に可能性が広がります。これからの時代、より物事を俯敵して広い視野でとらえることのできるデザイナーが求められることになると思います。

小松原 先生ご自身がモノやイベントなどをデザインする上で心掛けていらっしゃることは何ですか。

佐藤 仕事って「人の役に立つ」ことだと思いますし、これまでそれを実感したいと思い、続けてきました。自分がやりたいことをやるのはアーティストです。自分を追求してやりたい道を切り拓けばよいのですが、デザイナーという職業はそうではありません。「やりたいこと」ではなく、むしろ「やるべきこと」なんです。社会から与えられた要望に応えようとしていると、そのうちにやるべきことが、やりたいこととして生きがいを感じるものに変化していくものです。
世の中には、自分のやりたいことができないから楽しめないという人がいますね。同じ生きるなら、たとえ現状の中でも楽しみを見つけられる人になりたいと思いませんか。
私自身は、グラフィックデザイナーとして持っているスキルを何に活用してもらってもいいと思っています。

小松原 依頼される仕事というのは、必す制約がありますよね。先生は制約というものをどのようにとらえているのでしょう。

佐藤 制約というのは、クリエイティブなものを生む源泉みたいなものなんですよ。たとえば俳句って、五・七・五という音数の決まりがあります。はるか昔に生まれた俳句が、いまだに作られ続けているわけです。しかも制約があるからこそ、字余りや字足らずという新たな方法が生まれるわけ。そう考えると、いろんな条件や制約というのは、物事を深く理解して考えるきっかけになります。
もちろん、仕事上でクライアントから提示される条件などについては、とことん話し合いをしたうえで理解しますし、こちらから提案することも多いですよ。

小松原 先生がグラフィックデザイナーの道に進まれたきっかけを教えていただけますか。

佐藤 それがすごく単純で、父がデザイナーだったんですよ(笑)。
世間のご多分にもれず、思春期には反抗もしましたし、デザインの相談なんて一度もしたことがありません。でも、いつの間にかなりたいと思っていました。家には親が使わなくなった道具が転がっていて、遊び道具がプロ用のコンパスだとか三角定規でした。ところが小学校に入学すれば、駅前の文房具屋さんで指定されたコンパスを買いますよね。円を描こうとすると線は太くなるし、くるっとコンパスを一回りさせても元の位置に戻らす、円の端と端が繋がらないわけです。

小松原 そこで小学生の佐藤少年は気づいてしまったわけですね。幼稚園の頃に日常の遊び道具にしていたコンパスが、いかにすごいものだったのかと(笑)。

佐藤 子どもなりに製品の違いを考え始めたんですね。世の中にはクオリティの高いものと低いものがあるんだということにハッと気づきました。だから、そこでの経験で得たことは、子どもの頃に「子供用」として作られた道具を与えてはだめだということです。本当に良いものであれば、たとえ子どもといえども、最初から与えることが必要なんだと。これは子育てをする上で大切なことだと思います。道具―つの例ですが、本物の経験をさせるというのは子育てをする上でのキーワードだと思います。
いま、事務所のスタッフはみんなデザインをするのにパソコンを使いますが、私自身はいまだにシャープペンシルで描いています。ですから、スタッフは必すプリントアウトをしたものを私に見せて、その上に私が修正を加えます。私は、なぜこうなるのかとは一切言いません。直した後が紙の上に見えているわけですから、センスのよい者であれば、なぜそう書き直されたかを自分なりに考えますよね。

小松原 技術というのは自ら練習して習得するものですが、感性というものはどうやって磨くのでしょう。

佐藤 もちろん、何を美しいと思うかといった感じ方は人それぞれなのですが、私はふだんから普通の会話の中で「これおもしろいよね」とか「あの映画良かったよね」などとスタッフに声をかけるようにしています。そういう意味では、私が感動したもの、嫌いなものをスタッフは感じ取っているのではないでしょうか。彼らもクリエイターですから、感覚的な話というのは日常的に行っています。
いまの子どもたちがとてもおとなしいということを最初に聞きましたが、それは若手のスタッフでも同じです。自らの性格は地味でもなんでもいいんです。ただし、作るデザインにはしっかりとこだわりを持ってほしい。牛乳のパッケージを作るのに、派手なものだと冷蔵庫の中がごちゃごちゃしたものになります。ここはおとなしく控えめでいいんです。
一方で、この夏だけしかないというアイスクリームなら、遊び心というか、エンターテインメント性のあるものでもいい。要は思考の幅を持っているかどうか。

小松原 デザインとしての振り幅ですね。作家性が強いと同じ事ばかり求められますし。

佐藤 私自身は、仕事によってデザインをまったく変えてしまいたいと思う方です。自分の特徴のようなものを極力出したくない。それよりもいろんなところでお役に立つ方がいいと思っています。
若い頃は結果を残さないといけないし、がむしゃらに仕事をしていて余裕がなかったと思いますが、ある程度経験を重ねてゆくと、自分の作家性を打ち出して「これでどうだ」と強く推し進めるよりは、「共創」としてみんなで一緒に作り上げていく方が楽しいですね。ですから、できるだけ若いクリエイターや子どもたちなど柔軟な発想をもつ人たちと関わる場を、これからもたくさん作りたいと思っています。