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博物学

私学コレクション1 大阪星光学院
「商都大阪の埋蔵文化財」
古墳時代から中世・近世に至る歴史浪漫

 出土品の一部は現在、校舎一階のエントランスホールに、当時の発掘の様子を撮影したパネルとともに展示されている

地の利を活用したフィールドワークの数々

2005(平成17)年、大阪星光学院では新校舎建築の際に遺跡の発掘調査が行われました。まずは、同校の位置するこの地の由来から教えてもらうことにしましょう。

長友健史先生(地理担当) 現校地はもともと四天王寺の境内で、伶人町と呼ばれています。
 『伶人』というのは四天王寺で雅楽の演奏や舞踊を行う舞楽団・楽人のことで、ここは彼らの居住地だったと考えられています。
 2005(平成17)年の新校舎建築の際には、校地全体ではなく、主に谷町筋に面した旧校舎の下を発掘しました。ちなみに、旧校舎は戦後最も早く建てられたコンクリート製の建造物でした。

澤井篤先生(日本史担当) 私自身は発掘調査資料でしか知らないのですが、校舎の建て替えの機会でもなければ文化財の調査を行うことはできませんから、当時は教師にとっても生徒にとっても、かなり貴重な体験の機会を得たと言えますね。

長友先生 古都として知られる奈良ですが、平城京の跡は近代にいたるまで水田でしたから、発掘するといきなり古代の物が出てきます。一方、本校のある大阪というのは、何千何百年もの間ずっと誰かが住んでいますから、地面を掘ると地層からそれぞれの時代が明確に現れます。地表から掘ってすぐに出てくる黒土は、第二次世界大戦時の『大阪大空襲』の焼け跡。さらに掘り進めて出てくる黒土は、徳川家康が豊臣秀頼のいる大阪城に攻め込んできた『大坂夏の陣』の跡。つまり、現代から縄文時代までの地層はミルフィーユのようなイメージです。

発掘調査では古代の遺構として四天王寺に関連すると見られる「掘立柱建物跡群」が確認できたほか、文字の書かれた墨書き土器や緑釉陶器などが出土。中世では建物溝・区画溝•井戸・土坑・貝塚なども確認できたと聞きます。歴史的なものが身近にあるというのはまさに財産だと思いますが、なにかそれを活かした取り組みはあるのでしょうか。

澤井先生 クラブ活動単位では、近くの明星中・高の生徒たちとも交流があるんですよ。

長友先生 キャンパスの西端にあたるところには、江戸時代に料亭『浮瀬亭』があり、俳人・松尾芭蕉や与謝蕪村などの文人が訪れ、多くの俳句を詠んでいます。また近現代では作家・織田作之助が慣れ親しんだ場所としても知られていますから、文学と地理・歴史分野を組み合わせることで、とても深い学びができると考えています。ほかにも生玉公園の地下防空壕を巡ってレポートを書くなど、フィールドワークは本校らしい取り組みだと思います。