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スペシャル対談

今回は、長きにわたり私学教育に携わってこられたお二人の先生による特別対談。創設から現在に至るまで、幾多の困難など激動の時代を常に「不易と流行」を考えながら乗り越えてきた私学。いま、なぜ私学教育なのか。子どもたちに求められる真の学校とはどういうものか。じっくりとうかがった。

コーディネーター/小松原健裕
文=橘 雅康 撮影=岩井 進


写真左:尾崎 八郎先生 / 写真右:森 孝一先生

--ここ数年、子どもたちを取り巻く環境というのは、かなり劇的に変わっているように思います。そうした中で、教育の果たすべき役割とはどういうものなのでしょうか。

森 孝一先生(以下敬称略)
ちょっと長くなるかもしれないですが、いいですか(笑)。

 何が教育なのかということが、非常にわかりにくい世の中になっているという印象はありますね。幸福をめざすことが本来の目的ではあると思いますが、実は何が幸福なのかということもはっきりしない状況にあるのではないでしょうか。その部分をごまかしているというか、できるだけ答えを単純化させて教育を行っているように思えます。日本の近代国家としての成立あたりから考えないといけないと思います。

 明治維新の後、国策として富国強兵が行われていきますが、あくまで国の豊かさをまもるための強兵でした。昭和20年に第二次世界大戦での敗戦を迎えます。戦後は復興から高度経済成長へと続きますが、やはり富国を目指すという点では変わりません。私たちの親世代というのは、復興のために働くことが国のために働くことであり、自分の生きがいも見つけられるという時代でした。そして、ある時点で世界第二位の経済大国となったわけですね。経済的に豊かになったのだから、次にどう教育を行えばよいのかということを本当はしっかり考えなくてはならなかったのに、それができてなくて、今なお富国を目指し続けているように思えるのです。経済的に豊かになることが唯一の価値であるかのように、歯止めが利かなくなってしまっているのが現状のような気がします。 最大の消費が最大の善である、そういう価値観のうえで我々の日常というのは動いています。

 学校教育の現場でも、豊かになるにはどういうルートを通っていけばよいのか、やれ医者になれだの、弁護士を目指せだのと、とにかく競争の原理になってしまい、そういった考えが学校を支配する価値観になっています。大学に入って就職をすれば人生のゴール、そんなイメージを生徒や学生自身が持ってしまっているのではないでしょうか。とても先行きの不明瞭な時代で考えるべきことは多いはずなのに、偏差値教育というところに単純化して教育がなされているのではないかと思えてなりません。

-- 富国のためには国を挙げて学校で教育をしなければなりませんが、公立校と私立校では、やはり創設の理念が違うように思います。

尾崎 八郎先生(以下敬称略)
市民による国民国家を形成するということになったわけだから、資本主義を土台にして民主主義社会を作るとなると義務教育が必要になります。つまり近代国家の成立と義務教育のスタートは同時なんです。

『逝きし世の面影』(渡辺京二著/2005)の中に、江戸末期から明治維新にかけて、外国人の識者から見た日本人の美徳や文化のセンスといったものが描かれています。どんな貧しい田舎の農家に行っても、土のかわらけ(※素焼きの陶器)などに草花が生けてある。ヨーロッパなどの貧しい農家では自然の美を愛して飾り付けるようなものはないと。

1886(明治19)年に公布された「帝国大学令」の第一条には、「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攷究スルヲ以テ目的トス」とあり、国家の役に立つ人材の育成が掲げられています。その頃は諸外国からの圧力もあるし、一種の脅迫外交を受けていた時期だから、みんなが「われは国家のために何をなしえるか」と、自分と国という関係をしっかり認識していたわけです。やがて、日本が世界の強国の一つとして数えられるようになった時、「われと国家」という意識が少しずつ薄れてくるようになり、人類のために、社会のために、人権とは何かといった、国家から離れたところで真理の探究という意識が芽生え始めてゆきます。

しかし、第一次世界大戦後、金融など様々な恐慌が世界的に起こり始めると、「われは国家のために」というナショナリズムの意識が狂的に出てくるようになります。太平洋戦争後、アメリカによる支配によって、日本の多くの国民が「富 国」の意味の違いをはっきりと思い知らされることになりました。それからは、経済発展が最優先という前提の中で社会すべてが動き出します。教育の方向は、いかに社会で使える人間を数多く作るかということに向けられました。