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無人島で目覚める開拓者精神

岡山県瀬戸内市牛窓――ここは古く江戸時代には潮待ちの港として知られ、現在はヨットハーバーやオリーブ園があり、「日本のエーゲ海」と称される風光明媚な地。日本の夕陽百選にも選ばれている。
関西学院が所有する「青島」は、牛窓港から船で約15分、瀬戸内海に浮かぶ全長1キロメートル程の小さな無人島である。新制中学部の初代部長・矢内正一先生は、ここ青島を「祈りの島」と呼んだ。

感謝と祈り、そして練達。これら関西学院のスクールモットーを実践する場として、青島でキャンプが行われるようになって半世紀になるという。中学部の新入生たちは、入学後すぐに三田市の関西学院千刈キャンプで2泊3日の共同生活を行い、関学の名物とでも言うべき「メチャビー」(泥の中で行われるラグビー)によって晴れて関学生となるわけだが、先生方や卒業生たちは、「関学生として真に認められるのは、中2の夏を過ぎてから」と皆が口を揃える。
青島キャンプは毎年、中2の夏休み期間内に、一学年を二つの班に分け、それぞれ5泊6日のスケジュールで実施される。ここにはエアコンはもちろんテレビやゲームもない。ましてや、困った時のコンビニエンスストアだってない。日頃から豊かな生活を享受し、何不自由なく育つ現代の若者たちにとって島での生活は、最初は辛く厳しい修練の場と感じるのは間違いない。だからこそ、この壮大な大自然の中に抱かれる意味があり、学ぶことも多い。キャンプを終えて島を後にする時、きっと、見違えるほどたくましくなった自分と出会うはずだ。

カッターで向かいの前島にある関西学院のビーチへと向かう。当初ばらついていたオールさばきも、次第に呼吸が合って揃い始めた。艇はグングン加速する。

多島美あふれる瀬戸内の風光と心震える感動的な夕景。潮騒に耳を傾けながら、夏の緑が生い茂る中で過ごす原初的な生活。そして何より、ゆったりと流れる島時間。そうしたのどかで穏やかな風情とは裏腹に、無人島では常に嘘偽りなく自分と向き合い、他人と向き合うことが求められる。こうした自己を律しなければならない青島でのキャンプ生活は、どこかル=グウィンの描いたファンタジー小説『ゲド戦記』の物語世界とイメージが重なり合ってしまう。
中学部名誉教授の故・矢内正一先生は、寝食を共にする共同生活の中に真の人間形成と学習が行えると確信し、中学部寮建設の夢を語っておられたという。全校生が入ることのできる寮の建設が現実的に難しかったこともあり、キャンプという体験学習の場で祈りと労働を実現させようとしたそうだ。青島が様々な方々の働きによって関西学院所有の島となったのは1962(昭和32)年のことで、ちなみにそれは、アメリカで『ゲド戦記「影との戦い」』(原題『A Wizard of Earthsea』)が出版される6年も前のことだった。

  • 旗揚げのセレモニー。ここから島生活の一日が始まる。

  • 救命胴衣を着用し、はやる気持ちを抑えつつ、いざ桟橋へと向かう生徒たち

  • 海に漕ぎ出す前に、まずは中学部長・安田栄三先生がオールの漕ぎ方を指導。

自分たちの手でサイトを拓き、テントを張る。ワーク(勤労)はキャンプ生活の基本

島での基本的な生活は、ポールサイトで行われる朝の旗揚げに始まり、夕方の旗揚げのセレモニーで終わる。旗の下に集うのはキャンプ活動では鉄則で、共に生きる者としての証でもある。

キャンプリーダーである先輩たちの指導は容赦がなく厳しい。もちろんそこには、大自然の一部である無人島での生活において、一人のいい加減なふざけた行動が全体を危機に陥れることを戒める意味もあり、同時に自らの安全を管理することにもつながっている。大自然への畏怖とともに、人と人とが対峙する中で必要な素養は、ここでたたき込まれる。挨拶、行動、ルール、マナーなど、先輩たちは、できない後輩たちを本気で叱り考えさせる。こうしたキャンプでの体験は、すぐに学院生活に成果として現れるのだ。
キャンプ初日、リーダーたちに叱られ続けてしょんぼりしていた中2生たちだが、二日目以降からは行動とともに表情まで生き生きとし、見違えるように変わってくる。チャレンジとチェンジ、関西学院教育の本質はここにある。

  • 夕食は各班に食材が与えられ、集めた薪を使って火を起こし調理する。豚肉や牛肉、シーフードなど日替わりの食材もある

  • 島でのアクティビティーは、グループで決める

  • 写真は、緑の中で行う朝の礼拝の様子