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1926(昭和元)年に東大寺境内に創立された金鐘中等学校をルーツにもつ同校は、金鐘中学校・青々中学校という改称を経て東大寺学園中・高となった。1986(昭和61)年に現在の奈良市山陵町にキャンパスを移転するが、「基礎学力の重視」「進取的気力の養成」「豊かな人間形成」という教育方針がいまも貫かれている。同校の最寄り駅は近鉄京都線「高の原駅」。この辺りの地名は、万葉集に詠われた佐紀丘陵の古称とされる高野原に由来している。学校の周辺には成務天皇陵や神功皇后陵といった陵墓や古墳が多く、四季折々の美しい自然が広がっている。野鳥のさえずりとともに、校内に響くのは生徒たちの呵々大笑。さて、その理由とは……

※2022年5月取材

SPIRITS進度より深度を重視する学問への姿勢

生徒たちのほとんどが進学する大学・大学院での高等教育。その学問研究の土台として同校の学びは位置づけられている。仏教的情操を学ぶ場として中学3年間は『東大寺学』に取り組む。これは、東大寺境内での稲作や餅つき、大仏殿でのスケッチや写経など様々。教養あふれる多彩なプログラムには、「すべての命を尊ぶ世界」という東大寺建立の精神と、「世の中の役に立つ」という学園の精神が根付いている。転心殿の正面にある線刻による仏像、その奥ずっと先に東大寺大仏殿がある。

自由闊達な校風のもと、創造性あふれる生徒たち

校長 森 宏志 先生

 校長として8年目を迎える森宏志先生は、東大寺学園の社会科(世界史)教員として着任し今年で40年になるという。校長先生に、東大寺学園の生徒たちの気質などについて伺った。

 「本校は自由闊達な校風と言われることが多いですが、それでも少しずつ変わってきたなという印象を持つことはあります。生徒たちも教師も自立心を持った個性的な面々が多く、それが本校ならではの校風を形作ってきたということはありますが、昨今、社会全体が管理主義に大きく傾いて、同調圧力に従わざるを得ない空気になっていますね。他者に対しての寛容さまでも失いつつあるのではないかと危惧しています。フィーリングとして合うか合わないかということがあるにせよ、いろんなタイプの先生と出会うというのは、生徒たちがこれから生きていく上でとても大きな意味があります。人とどう向き合い距離感を保つか、どう意見をぶつけ協調していくのか。出会いの中で学ぶことは多いはずです。

 こうした昨今の状況の中でも、生徒たちに本校への志望動機についてアンケートを取ると、圧倒的に『自由度』を求めていることがわかります。大学受験での進学実績やクラブ活動の豊富さ、教育環境なども当然わかっているはずですが、期待しているのは自由な校風だと言います。こういう期待がある限り、たとえ少数派になろうとも、本校の存在する意義をしっかり伝えていきたいと思います。
 本校の生徒たちは実に多彩で、興味のあることで集まってサークル活動を行ったり、校舎の1階にホームルーム教室がある高校3年生などは、校舎の脇で野菜を作ったりしていますよ(笑)」

LOCATION & FACILITIES校風を具現化!生徒たちが自由に活用できる創造的な空間

2015年に完成した階段広場のある中庭(写真右)は「サンガディ・スクエア」と名付けられている。これは、交流や関わりを意味するサンスクリット語「Sam-gari」が語源だそう。「旧校舎の雰囲気を再現したい」と同校出身の建築家の手によって設計された。生徒たちの創造的な多目的スペースとなっていて、文化祭『菁々祭』の折にはステージに早変わり。とても同校らしい施設となっている。この下に広がっているのが「雑華(ざっけ)ホール」で、ここは食堂であり、放課後は自習スペースにもなる。食堂で使用されているおしゃれなチェアは、なんとイタリア製だとか。奥に若草山が見える。


  • 図書館棟の2階すべてが図書室となっていて、閲覧スペースには約170席もある。最新刊や雑誌の種類も多く、生徒が司書にリクエストすることもできる。蔵書の中には医学や仏教を中心とした哲学書、東大寺に関するものも。


  • 写真左上は東大寺南大門のそばにあった木造の旧校舎。同校では聖武天皇の命日は休校となるほか、二月堂の修二会では、お水取りの行事に参加する生徒もいる。在校生もその保護者も東大寺と関わる機会は多い。

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