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教育鼎談
2020年7月15日に発売された『名門私学探訪』(企画・編集/日能研関西、発行・発売/受験研究社)は、関西エリア限定の中学受験情報誌で、有名な私立中高一貫校25校をセレクトし、その学校生活のナカミを紹介するとともに、幼児期から思春期にいたる子育てについても様々なヒントを掲載しています。巻末の特別対談として企画されたのが「教育鼎談」で、今回、シガクラボでは特別ノーカット版として掲載します。
中学受験の進学塾・日能研関西の小松原景久会長が出迎えたのは、灘校元教頭の大森秀治さんと東大寺学園元教頭の清水 優さんでした。
中学受験界、そして自主性を重んじる自由闊達な校風の中で中等教育現場をリードしてきたレジェンドたちは、新型コロナウイルス感染症拡大のこの状況下、どのような「教育観」や「学校観」を語るのでしょうか──。
構成/橘 雅康(『N-cube』編集長)
撮影/川勝 幸(Studio macCa)
小松原 景久会長(以下敬称略) 政府から緊急事態宣言が出された時、自治体の判断で学校が休校となり、私ども日能研でも休講措置を取ることにしました。ただ、教える立場としては、やはり子どもたちの顔を見ながら授業をしたいという強い思いがありますね。これから情勢がどのように変わっていくかはわかりませんが、状況を見守りつつ、子どもたちにとって何がベストなのかを考えたいと思っています。
大森秀治さん(以下敬称略) 私自身はあちこち出歩きたい性分なので、外出の自粛を求められると正直つらいものがありました。みんなが出歩かなくなる中で、自分だけというのはさすがにまずいと思いますね。
清水 優さん(以下敬称略) 大森先生がもしまだ灘校にいれば、ギリギリまで自粛には反対していたかもしれませんね。
私はこの3月末で東大寺学園を退職しましたが、最後の最後にこの新型コロナウイルスの騒ぎですから、学園がこの先どう舵を切っていくかはやはり気になります。
東大寺学園はよく灘と同じような雰囲気を持っていると言われます。それは伝統的にあまり世の中の動きに迎合するような動きをとらず、うちはうちで出来ることをしようという自由闊達なタイプの男子校だからなんです。ところが今回は、近隣の学校が続々と休校を決める中ですぐに流れに乗ってしまいました。
大森 休校にするか生徒たちを登校させるかという、まだ学校単位でどうするかを判断できる段階で、多くの学校が早々に自宅待機させることを決めました。もちろん生徒の安全を一番に考えてのことだとは理解しながらも、「右へ倣え」で一斉に同じ方向を向いてしまう時世なんだなと、つくづく感じましたね。ことの是非はともかく、世情や風潮に流されやすい時代になってしまったと・・・。
学校の教室というのは子どもたちが一定時間、同じ場所にいるわけなので、当然、閉鎖空間になります。しかし、じゃあ大人が通勤している電車はどうなのかという疑問は残ります。経済活動は止められない、そのかわりだからかどうか、教育現場をさっさと止めてしまいました。
小松原 実は今回企画した鼎談は、これからの子育てにも大きく関わっているんです。私どもの教え子たちには30代や40代の子育て世代も大勢いますが、彼らから「学校は変わっていませんか」と聞かれることがよくあります。卒業しても母校のことというのは、やはりとても気になるようです。
こういう大変な状況の中ですが、だからこそ学校の姿勢が鮮明になると言いますか、生徒とどう向き合おうとしているか、私学それぞれのポリシーがはっきりとわかりますね。この休校期間をどうとらえたか。
大森 学校の体制や生徒個々の真価、そこが今回の騒動で問われるところです。でも、テレビのニュースを見ていると、ウェブで授業をしていますとか、課題をさせるために教師がこんなに苦労していますというものばかりでした。これは働く大人側からの視点。逆にこういう時だからこそ、学校は生徒自身に何をするかを考えさせればいいんですよ。「あとで振り返った時に、この時間がとても良かったと思えるように生活しなさいよ」と。それができる者こそが一流の人になるのではないですか。
清水 同感ですね。何もすることが無くなった子どもたちの心や学力をどうケアするのかと、教育評論家やコメンテーターなどが朝のバラエティー番組の中で言うわけです。でも周りを見ると、小学生の子どもたちは学校が休みということで、喜々として家の中を走り回っていました。学校も休みだし、図書館も博物館などの文教施設も閉まっているこの時期を生かして、じっくり読書をしてもいいし、図鑑を見ながら課題を自分で作ってもいい。どう過ごすかということを子ども自身に考えさせるチャンスだったんです。
小松原 灘や東大寺に通う生徒たちを見ていると、普段から物事をしっかり考えることができていると思います。ただ、授業がなくて不安に感じている子どもたちにとっては、学校や進学塾がオンラインで行う授業も選択肢の一つですから、それはそれでしっかり取り組んでほしいと思います。
いずれにしても、考えることを深めることができる自由な時間が手に入ったということですから、もしここで日本全国の小学生から大学生までが自ら考えることをすれば、これこそが真のアクティブラーニングとなりますね。
では、ここからはあらためて先生方に長年にわたる教師生活を通して、いま思うことや伝えたいことを伺いたいと思います。
清水 私はもともと大阪府立高校の教員でした。平成13年に東大寺学園に赴任しましたから、平成時代の半分以上を私学で過ごしたということになります。私がかつて通っていた頃の府立高校というのは、勉強はもちろんしっかりするけれどそれだけじゃない。同じ府立高でもそれぞれの校風を持っていて、大らかで自由な雰囲気がありました。しかし、いつ頃からか、勤めていて窮屈に思い始めました。だんだんと行政の思惑通りに画一化されていくのを目の当たりにしたんです。生徒に向けてだけでなく、教師に対する管理も厳しくなってきました。
そんな時に、東大寺学園と出会うことになります。教師にかなりの裁量が与えられ、中高6年間、責任を持って思春期の人間形成に関わることになりますから、怖い部分もありますが、それ以上にやりがいを感じました。
先程言いましたが、そうした東大寺学園でさえも、世代交代などもあって、近頃は教師の独自性が失われつつあるのかなと感じることもあります。
大森 私は灘校の教師として39年、その前に大阪と札幌で教壇に立っていたので、42年ほど教師生活をしていたことになるかな。灘校には在校時代を加えると45年いたことになります。
清水先生が言いたいことはよくわかるんです。若い先生というのはみんな真面目で良い先生なんですよ。ただ、はみ出そうとはしない。だから、灘の校風を維持しているのは実はベテランの世代で、何か事あるごとに「君たち、それでいいの?」と。これはある意味、日本の教育行政が公教育の中で育んできた方向に流されてきたということなんだと思います。
清水 世間からも親御さんたちからも破天荒な教師には風当たりが強く、その存在もだんだんと許されなくなってきました。ということは、裏を返せば破天荒で飛び抜けた生徒の存在も許されないということなんですね。
大森 文部科学省は、教育改革と称して生徒の自主性や主体性、自分で考える力を育みましょうと言うじゃないですか。
たとえば、甲子園をめざす野球の強い学校でも、猛烈な監督の指導ではなく、球児たちが自分自身やチームメートとなぜうまくできなかったかを考え、どうすればよいか考える、そういう学校が伸びているんだと、メディアではよく報じられます。そうであるならば、「生徒が自由である学校は、教師も自由でなければならない」、これが私の持論です。誰かをがちがちに縛って強制している中では、伸びやかな才能も自由な発想も絶対に生まれません。世の中どこか矛盾しているとは思いませんか。枠をはめられた人間に、枠をはみ出す人間を育てるなんてできるわけがない。
小松原 特に教育委員会の直接の指導下にある公立校ではそうした傾向が顕著ですが、いま私学の多くもそれに巻き込まれようとしていると言えますね。
清水 私が教頭という管理職を引き受けたのは、無意味な管理主義が横行しないように管理すること、ここに教頭としてのアイデンティティを見出したからなんです。
たとえば定期テストの日などは、試験をした後、午後から帰ってもいいことになっているわけです。それでも若い先生は「帰ってもいいんですか?」と訊ねてくる。自分で判断できないのか、責任の所在を確かめているのかはわかりません。そんなことは聞くなよと。
大森 もしそれが世代の問題だとしたら、幼い頃から自分を出せない教育を受けてきたということでしょ。これはとても大きな問題。
実際、灘校に入ってくる子も年々スケールが小粒になっているように思えるのは残念です。本来、中学生や高校生の頃というのは一番生意気な盛りですよ。こちらは教師に食って掛かってくるのがあたりまえだと思っているのに、最近はまったくそうした気配が見られなくなってきました。
小松原 近頃は、反抗期のない子もいると言いますね。
大森 少子化により親の保護や手の掛け方が厚くなったことで、従順な子どもが増えたというのなら、それこそ時代性と言えるのでしょう。教師の指示にすんなりと従い、大人の顔色を見て課題を期限までに提出する生徒ばかりだと、実は教師は鍛えられません。はみ出す必要がない社会であるなら、当然そうなるでしょうけども。
小松原 しかし、これからの社会では課題も山積みですし、世界的な視野や価値観を理解することが求められる社会の中では、共感性や協調性はもちろん、リーダーシップを発揮できる人間が必要ですよ。突出した特技や能力があるというのは、とても心強いものがあります。