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私学出身のパパによる座談会(前編)

日能研関西・小松原健裕代表の日能研通塾時代、また中学・高校時代の同級生をはじめ、中学受験を経験したお子様をお持ちの方たちにお集まりいただき、親子2代にわたる中学受験の体験や私学教育(男子校)の魅力について、語っていただきました。
ご自身の中学受験の経験を経て、母校への思いやお子様の中学受験についてどう思っているのか、学生時代の思い出話を交えてお話いただきました。

小松原健裕 1978年生まれ 甲陽学院中・高卒業
株式会社日能研関西 代表取締役社長
大学卒業後株式会社IBM勤務、のち事業継承のため日能研関西入社
日能研関西は関西・中国地方にて27教室を展開する小学生のための中学受験専門塾

青田雄弘さん 1975年生まれ 六甲中・高卒業(現:六甲学院)
川崎重工業株式会社 エネルギーディビジョン 空力機械部設計一課 課長
神戸工場エネルギーディビジョンでエンジニアとして海上プラットホームでの天然ガス圧送のための圧縮機等のプロジェクトエンジニアリング業務に携わる

砂原庸介さん 1978年生まれ 灘中・高卒業
神戸大学 大学院 法学研究科 教授
専門分野は政治・行政研究。主な研究内容は「日本における住宅政策とその帰結」、都市の境界と地方自治」、人口減少と防災」など

田中晃司さん 1978年生まれ 甲陽学院中・高卒業
大阪大学医学部附属病院 消化器外科 助教 外科医
大阪大学大学院医学系研究科外科学講座消化器外科学にて学部内講師も務める

構成/橘 雅康 (『N-cube』編集長)
文章/丸川 悦子 (日能研関西 編集部)
撮影/岩井 進(Studio Releaz)
協力/日能研関西 西宮北口校

CHAPTER.1 それぞれの子ども時代

遊んでいたものはその頃流行っていたアレ。
当時の日能研は〇〇〇〇の上にあることが多かった?

小松原 お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。
まずは出身地と、小学校の時ご自身がどのようなお子さんだったかを教えてください。

田中 私は生まれが大阪でしたが、小学生の頃は芦屋、宝塚にも住んでいました。
当時流行っていたファミコンで遊んだり、毎日公園で遊んだりする子どもでした。
今の私の仕事は医師ですが、特に医者の家系ということでもなく、小さい頃、野口英世の映画か漫画を見たことをきっかけに医者という職業に興味をもちました。幼稚園の頃には漠然とですが医者になろうと思っていました。

青田 私は神戸市東灘区出身です。父親の仕事の関係で私が1歳の頃に福岡県に引っ越し、小学5年生の時に神戸に戻ってきました。小学生の頃は勉強があまり得意ではなく、特に国語が苦手だったことを覚えています。電車や飛行機など動いている物を見るのが好きな子どもで、今の仕事は設計エンジニアなのですが、その頃からなんとなく理工学方面に行きたいとは思っていました。

砂原 私は4年生の終わりに東京から西宮市に来ました。
いたって真面目な、社会科が好きな子どもでしたね。日能研の授業では国・算・理の3科目を受けていて、社会は興味があることを自分で適当に勉強して中学受験では4科目入試の学校も受けるような、ちょっと変わった子どもでした。その好きが高じてか、今は大学で社会科学の研究をしています。

小松原 ありがとうございます。
砂原とは小学生時代、日能研で一緒だったけど、砂原は当時すごく国語ができたよね。算数ができる子はたくさんいたけど、国語は彼がダントツだった印象。

砂原 当時の甲東園校は弁当屋の上にあって、先生が「成績良かったら弁当買ったろか?」くらいのノリの塾だったね。6年後期からは元町校にも通っていましたけど、そっちは塾に通ってるなって感じがしました(笑)。

青田 私は当時の摂津本山校に通っていました。「栄冠」って名前のクラスがあって、あれは印象的でしたね。3クラスのみの小ぢんまりとした教室で、マクドナルドの上に教室がありました。夏期講習の時にたまに親が買ってくれるハンバーガーが嬉しかったことを覚えています。

小松原 食べ物屋の上ばっかり(笑)
私は歴史本とか推理小説をよく読んでいました。甲陽生は理系が多いですが私は自然科学系にはあまり興味がなかったですね。
あとはやっぱりファミコンで遊んでいたかな。
中学受験が終わったら速攻でスーパーファミコンを買ってもらいました!(笑)
当時あるあるですよね、それがあるから中学受験を頑張れたみたいなところがありましたね(笑)。

CHAPTER.2 中学受験と志望校選択

やはり「灘」は憧れの存在
縁があって入学したそれぞれの学校

小松原 まぁ私は、中学受験は当然するものでしたけど(笑)、皆さんはどうでしたか?

田中 私の場合、公立がちょっと荒れていた学区だったということと、通っていた私立小学校の系列中学が女子校だったということもあります。
できれば中学も私立が良いなと。
叔父が甲陽学院出身だったので、叔父の紹介で家庭教師も甲陽出身の人でしたし。
灘や六甲も見学には行きましたよ。そりゃ行ければ灘に行きたかったです(笑)
でも甲陽の過去問が自分に一番合っていたようにも思います。

砂原 僕は当時の先生が「灘、行けるんじゃない?」と勧めてくれて。あとは仲良かった友達2人も灘を受験するっていうことで。この二つが理由ですね。

青田 私は通っていた小学校がいわゆる中学受験志向と言いますか、教育意識が高い小学校だったことが大きいですね。
私にとって六甲は高嶺の花でしたけど、当時の先生に「お前は国語が苦手だから、文系の大学よりは六甲中学行って理系に進んだほうが良い」とアドバイスをもらい、頑張って勉強して六甲に入学しました。

小松原 当時の日能研の先生で覚えてる方はいらっしゃいますか?

青田 確か、理科のモリタ先生、数学のモリ先生とかですね。懐かしい!

小松原 私は須磨に住んでいたので灘・六甲が候補だったけど、学力で西宮の甲陽を考えることに。頑張れば近くの灘に通えるけど、頑張りが足りなかった!(笑)
あとは音展(甲陽の文化祭『音楽と展覧の会』)に行った時、旧校舎ですけどステンドグラス風に飾り付けられた校舎がキレイだなと思ったんですよね。中3から新校舎(現校舎)だったので、当時は古くて不満だったけど、今思えば旧校舎は貴重な経験かな。(笑)

中編へ続く

灘中学・高等学校
自由闊達な雰囲気が漂う、言わずと知れた関西最難関の進学校。1年次は柔道が全員必須。制服の着用義務がない等、明文化された校則がなく、自由な校風を特徴としている。文教地区・東灘の閑静な住宅地にあり、事務棟として使用する本館は国の有形登録文化財に指定されている。2027年には創立100周年を迎える。

甲陽学院中学・高等学校
校風「明朗・溌溂・無邪気」を謳うトップ進学校。高校募集のない完全中高一貫体制であり、中学と高校でキャンパスを異とする独自のスタイルを貫く。豊富な理科実験で知られる同校には、「物理・化学・生物・地学」それぞれの実験で扱う薬品は大学レベルのものが備えられている。探究心旺盛な学生が多く、音楽・美術などの芸術教科や体育・家庭科などの教育も大切にされている。

六甲学院中学・高等学校
「For Others,With Others」を教育目標に掲げるカトリック系の男子校。様々な人との関わりの中で社会に役立つ人間が育まれており、英語教育にも定評がある。大理石の床掃除と伝統的な便所掃除、体育祭での総行進が有名。最寄駅より約20分かけて長い坂道を上りきった六甲山のふもとに広大なキャンパスがあり、最上階の学習センターからは神戸の街と海が一望できる。

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